2007年06月02日(土)

遺族の自殺におけるトラウマ [自死遺族]

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          清里町の神の子池 神秘的な場所です。記事とは全く関係ありません。
          私の大好きな場所のひとつなのです。


  代表の阿部です。
  北海道の東 中標津町は桜が散り、他の草花や木々が
  一斉に芽吹き始めています。
  皆さまいかがお過ごしでしょうか。
  
  さてお待たしていた新しい記事 今回は
  遺族の自殺によって遺された者に
  心的外傷後ストレス障害(PTSD)を
  発症する事と
  トラウマについて取り扱いたいと思います。
  先日も国民に影響の多い政治家の方の立て続けの自殺も
  ありましたね。

 我が国日本が自殺大国であるのは
 皆さまもご存知でらっしゃることと思います。
 世界では第10位になっています。

 1998年以来 毎年自殺で亡くなる方は3万人以上であるのが
 今の日本の現状です。

 ここで警視庁から発表されている1998年〜2005年までの
 自殺既遂者のデータを見てみましょう。


   1998年    32,863人
   1999年    33,048人
   2000年    31,957人
   2001年    31,042人
   2002年    32,143人
   2003年    34,427人
   2004年    32,325人
   2005年    32,552人

   合計    260,357人

   (警視庁生活安全局地域課 発表資料より)


  以前道東のデータで紹介させて頂きましたが
  今回は日本全体で見ていきましょう。
  1件の自殺が起こると最低6人 心理的ケアの必要な
  人間がいると高橋祥友先生は言われています。
  これから試算すると

  260,357×6人=1,562,142人

  約156万人という数字が出されます。
  この数字は
  「自殺によって遺され ケアの必要と考えられる人の数」です・・・。

  とてつもない数字ですよね。

  

 
 親族の中に自殺が起こると
 遺された者に精神的な影響があると考えるのは
 自然なことだと思います。
 親族に限らずとも、近しい人が自殺で亡くなれば
 精神的にダメージを受けることも当然起こります。

 さて今回はこのダメージや精神的な影響の中でも
 心的外傷後ストレス障害(PTSD)や
 トラウマについて考えていきます。

 その他の精神的な影響は以前の記事を 
 見て頂ければよろしいかと思います。

 人を亡くすということはそれが自然な死であっても
 とても大きな出来事であります。
 喪失体験 対象喪失です。

 それが自殺となれば
 自ら死を選択したのですから
 遺された者にとってその死を受け入れることは
 非常に困難をきたします。

 同時にその死は偏見や誤解なども蔓延していますので
 尚、語られにくいという側面を持っています。

 そういった意味で遺された者が孤立化する傾向を
 併せ持っているのも自殺の特徴でもあります。

 その孤立の中にあの時自分が何か出来たのではないか
 または何かしたからこうなったのではないか等の
 自責の念は非常に深く、重く遺族の心を覆います。

 同時にPTSDやトラウマとなっていくことの
 具体的なことの一つに
 「遺体」があります。

 自殺で亡くなった者の遺体には
 大きなメッセージ性が伴っているとも考えられます。

 どういうことかと言いますと・・・

 自殺の遺体は「手段の跡を伴っています

 自殺手段のデータを見ると

 1位   首吊り
 2位   飛び降り
 3位   ガス

 となっています。

 首吊りの場合は、生々しい紐の後が
 くっきり首に残ることがほとんどです。
 血の塊、うっ血状態がそのまま紐の跡となって残ります。
 また 少し開いたままの口や目という現状もあります。
 涙や様々な分泌物の後も残っていることも多いのです。
 死後硬直をした後に発見された場合は
 遺体として布団に寝かされていても遺体の形は 
 ぶら下がっている状態のままであることも
 珍しくありません。
 ただでなくとも自殺は強烈に悲しい出来事
 ショッキングな出来事であるというのに
 最後の目にする必要のある遺体が
 そのような状況です。
 脳裏に焼きつかない方が不思議です。
 
 では飛び降り
 高い所から飛び降り死に至ったわけです。
 遺体の損傷もあるのが当然です。
 たとえ何かの拍子で顔が無傷の場合であっても
 飛び降りて亡くなったというメッセージは
 強く遺族の心を占拠するはずです。

 ガス関連の自殺は
 皮膚の色の変化がある場合も多いです。
 亡くなっただけで顔色に変化がある上
 毒物などの影響ですから・・・。
 

 これらを考えてみても
 自殺の遺体を見ることの精神的苦痛は
 想像するのにそれほど難しいことではないと思います。

 またこれに輪をかけてPTSDや大きなトラウマとなるのは
 「遺体の発見者」です。

 偶然に発見した立場の方も
 そのインパクトは非常に大きく
 トラウマ的出来事の一つとなります。

 その上発見者が親族であるケースも非常に多く
 この場合 更に深刻な精神的影響を受けることになります。
 
 眠れない
 漠然と不安である
 怯える
 ドキドキする
 緊張する
 発見場所に似た状況が怖い
 悪夢をみる
 
 など様々なことで表出されることが多いのです。

 遺体が目に焼きついていること
 遺体を発見してしまったこと
 警察や病院で遺体確認を行ったこと

 自殺において上記の経験は
 心的外傷後ストレス障害(PTSD)
 トラウマ
 となることは
 極めて自然なことと言えると思います。

 本人が弱いのでもありません。
 正常な精神を持っているからこそ
 このようなストレス下で
 ダメージを受けるのが自然なことなのです。

 自殺で近しい人を亡くした経験の有る方で
 PTSDを発症している方
 トラウマとなっている方(ほとんどだと思いますが)

 医学的な治療(薬物療法)
 精神的治療(心理療法など)
 仲間との出会い(孤独感からの解放)

 これらで「回復」は可能です、
 亡くなった方は戻ってきませんので
 そこの部分は辛いですが
 PTSDやトラウマを放置しておくと
 もっと深刻な症状となって現れたり
 次の自殺を引き起こすことにもなるのです。

 FCCNのこの場で自殺遺族関連の記事への
 アクセス数の多さは異常なほどの多さですが 
 全国の自殺既遂者の数のデータを見ると
 納得できる数です。

 もしこの記事を読まれた方の中で
 親族に自殺された経験をお持ちの方がいらっしゃたら
 御自分の精神状況を
 今一度見つめなおして見る機会となって頂ければ
 幸いです。

 そして私の回復があったように
 逃げずにその問題に向き合った時に
 感情の浄化と
 喪失の嘆きの作業が進み
 少しづつ生きていく気持や
 ものごとを客観的に見る力も
 出てくる可能性は高いです。

 FCCNでは身近な人に自殺によって亡くなられ
 遺された人のための自助グループを月に1回開催しております。
 また個別にカウンセリングなども行っており
 自殺遺族の専門的なケアを提供させて頂いております。

 もし、向き合う勇気と
 精神的な影響から今の生活に何かしらの影響が
 あることを感じられた場合
 ご連絡をお待ちしております。


 FCCN家族と子どもケアネットワーク
 クリニカルセンター
 本部電話 0153−72−0006
      (8:00〜20:00まで受付)

 自殺問題担当 阿部 ゆかり
 
 
 

Posted by abe at 13時57分   Comment ( 21 )

コメント

先週 大切な人の母親がなくなりました。
一ヶ月程まえから精神的にパニックに陥り
病院通いをしていました。
あわててかけつけたのですが 私は拒否されました。
近しい友人と親戚だけで過ごすとのことでした。
電話では 何が起こったのかは口にするこはなく
ただ自分や父親のせいではなくすべて病気が悪いから 
気丈に振る舞うこともせず
毎日泣いてる 落ち着いたら全て話すからと言っていました。
今は待つことしかできません。
私は何をしてあげたらいいのでしょう。
離れたところに住んでいるので ただそばにいてあげること
さえできないのが辛いところです。

SUSH 2007年10月29日 09時39分 [削除]

SUSHさんへ


コメント大切に読ませて頂きました。
大切な方のお母様が亡くなられたのですね。

大切な方の状況を考え
あわてて駆けつけたところ、拒否されてしまったのなら
どうしていいか分からなくなってしまいますね。

離れた所に住んでいて
傍にいてあげることさえ出来ないというのは
とても辛いですね。

今は待つことしか出来ないとお考えのこと
懸命で安全な選択だと感じます。

落ちついたら全て話すからと言って下さっているのでしたら
そこに信頼関係が構築されている証拠ですね。

このような死別は
時間を要することも多々あります。

パニックになったり
病院に行くという選択が出来たり
泣いてばかりいられるというのも
実は
非常に「健康的な喪失反応」です。


世の中では
気丈でいることの方が望まれることですけど。


御自分に何が出きるのでしょうかというご質問ですが
SUSHさんのされている「今は待つ」という選択が
一番最善の選択だと思います。

そして時が来て
話す機会が訪れた際には

傾聴に徹してあげることが傷ついている者にとって
何よりの力になることだと思います。

そして必要を感じられるなら
これらの死別を専門的に扱ってくれる機関や人材を
調べて
教えてあげること
専門家にかかることは必要で恥ずかしいことではないことも
伝えていくことも役に立つことの一つだと思います。


abe 2007年10月29日 17時39分 [削除]

おへんじありがとうございます。

そうですね。
気丈に振る舞わなくていいと周りの人から言われ
泣きまくってるとも言っていたので
そのへんは安心しています。

私はただ待つというのが よく飲み込めなくて
どうしたらいいのかわからなくて
思わず 毎日メールを送ってしまってました。
今ただの自分の自己満足のように思えてきて
後悔しています。

SUSH 2007年10月30日 10時00分 [削除]

SUSHさんへ


返信遅くなりました。
代表の阿部です。

風邪で青っぱな垂らして仕事してます(^^;)

さて
友人に対しどうしてよいのか分からず
メールを毎日送ってしまったことが
自己満足のような気がしてきていらっしゃるのですね。

待つというのは
ともすれば、放っておくような感じにも取れるので
なかなか難しい姿勢だと思います。
どうしてよいのか分からないというのは
このような事が起こった周りの者として
当然の反応だと思います。


自己満足なのかどうかは
私には判断することは出きないのが
正直な所ですが

私が母を自殺で亡くした時に
当時はメールなんてなかったですけど
すっとんで来てくれた方が数名いらっしゃったのですが
25年経った今でも、ずっと心の中に嬉しさや温かさとして
残っています。
感情鈍麻していて決して良い応対は出来ていなかったと思いますが
「私の事を気にかけてくれている」というのが分かった様な気がして
絶望的な孤独感が緩和されていたように思います。

母が亡くなったその時にメールがある時代だったとしたら
私なら毎日メールもらえるのは
とても必要な事かもしれないな・・とふと今回思いました。

では。また。ズルッ←鼻水(^^;)

abe 2007年11月03日 09時28分 [削除]

おはようございます。

SUSHさんと先生とのやり取りを読ませていただいて
私も過去の嬉しかったことを思い出しました。


私は離婚後の時ですが、
やはり当時はメールは無かったです。離れて住む友人が
ホントに短い手紙をくれました。
離婚のことには触れずに、「ちゃんとご飯食べてる?」と。
短い文面から私のことを気に掛けていてくれることが伝
わって、今でも感謝の気持ちが湧いてきます。

自分のことを気に掛けてくれている人がいるって分かることは、
苦しい時、または後で力になると私は実感で感じています。

りんご 2007年11月04日 10時57分 [削除]

私は「自死遺族」です。

今、この場で「こう言いたい」と思えた自分の成長を認め、この安全な場所に感謝したい気持ちです。

自分自身の経験のシェアでお聞き苦しい方もいるか?と思いますがここで自分の気持ちを吐き出す事がトラウマに対する自己治療につながる気がするので書かせて下さい!ご勘弁を!!

今から12年程前の話です。母は私がお腹に居る時かららしい「うつ病」との長い闘病生活の末、自ら首吊りという形でこの世を去りました。

当時私は「摂食障害」の真っ最中で栄養不足、疲労から「急性肝炎」との診断で内科に入院中の時でした。

その間母は自身の療養の為にと母の実家である地方に滞在していました。

私は入院中、私の居ない家で母が父と二人で生活している事を想像するよりよほど安心していましたが・・

母とは入院中もよくTELをしました。
今思うとお互いが自分の事より相手の事ばかり気遣って無理に元気に振舞っていた気がします。

そして9月4日(皮肉にも死ぬまで苦しむ?苦しんで死ぬ?)です

私の入院先のナースセンターに父からのTELがきました。父から連絡があるなんて・・??胸騒ぎがしました。

第一声「母さんが馬鹿まねをした」でした。

父がどういう人で、どんな言い方をする人かわかっていたので、すぐにこの言葉だけで状況は判断できました。

そう!父にとっては母の自殺は「馬鹿まね」なんです。

未だにその言葉、声のトーン、言い方は忘れられません。

一瞬にして血の気が引いたようにその場にヘタリ込みその後強制退院をし5時間かけて地方の病院に向かいました。その間の記憶はあまりありませんが。

病院に到着後、第一発見者である祖父から状況を聞きICUに行きました。
母は色々な機械、点滴につながれて血圧のデジタル表示も38/15とかそんな数値でした。
手を握っても片方は暖かく、もう片方は冷たく。

それでも私にはただ今はベットに寝ているだけとしか見えませんでした。

医師から脳のレントゲン写真を見せられもう限界なこと、そして間も無く   「ご臨終」   
ドラマで見るような家族が泣き崩れるような状況ではありません。ただ???

「枕経」をしても「葬儀」をしても「お骨」になっても「お墓」に入れても「四十九日、三回忌、十三回忌・・」が過ぎてもただ???

未だかつて「本当にもう二度と会えない」とは受け入れてないのかも知れません。

亡くなった大好きだた母の事を悪くは言いたくない!だから自分の本当の気持ちはもみ消してきた。

でもずーっと本当は「もう死なないって約束したのに!明日帰るって言ったのに!裏切った!私を捨てた!ずるい!寂しい!」って思い続けていたのかも知れません。

幸い私は現場を見ずに済みました。それでも未だ細い紐、高い位置の引っ掛ける金具が嫌いです。

つくし 2007年11月06日 11時10分 [削除]

代表の阿部です。
コメントありがとうございます。

りんごさん

ご自身の経験をシェアして下さってありがとうございます。
離婚の際のご友人の短い文章が
今だに心を暖めてくれているのですね。

りんごさんのおっしゃるように
後で力になるということは起りますね。



つくしさん

コメント
大切に読ませて頂きました。

ご自分が自死遺族であることをシェアできたのですね。
成長を感じるとのこと、本当にそう思います。

自死遺族の問題は私の大学院の修士論文のテーマでもありますが
この問題の多くは誤解や偏見から
無い事にされたり
語られ難いという特徴を持っています。

こうした状況の中で
遺族自身が自分の体験をシェアできるということは
とても大きな意味を持つと言われています。

お父様の台詞が頭から離れませんね。

亡くなった方の事を悪く言いたくないという気持は
多くの遺族の方の共通する思いでもあります。
そのように感じてしまうのは当然のことです。

同時に本当の自分の気持をもみ消してきていたことに
気付けたことは素晴らしい成長ですね。

そして本当は寂しかったこと
約束をやぶられて怒っていること
帰ると言っておいて裏切られて悲しかったこと
捨てられた気分であったことなど
本当の自分の気持が「今」意識出来たのですね。

心はとっても痛いですね。
本当の気持を認識するというのは
時に残酷です。
何が起きても「?????」でいられることが
どれだけ楽で生き易いか知れません。
「?????」で居られなくなるのは
本当に痛いと思います。

私は癒し続けている今でも、やはり母の自殺という死を
思う時、心が痛いです。

アメリカのオレゴン州のポートランドに
ダギーセンターという所があるのですが
昨年そこで研修を受けてきました、
そこの施設は家族を喪失した子どもの心のケアをする所なのですが
親を自殺で亡くした子どもの心のケアの学びをしてきたのですが
そこで私が学んだ事は
「家族を亡くした心の傷は乗り越えなくてよい」ということでした、私にとって目からウロコでした。
いつまでも傷を抱えているようで自分が嫌でしたから。

でも講師の先生は言っていました。
一生悲しいのは自然なことだと。
だから今回つくしさんのコメントを読ませて頂いて
涙が出る自分を自然だと受け止めることができます。

紐と高い位置のひっかけ金具、嫌いですね。
私はシャッターが下りてる物置が嫌いです。

abe 2007年11月06日 19時51分 [削除]

つくしさん、こんばんは、りんごです。

つくしさんの辛い体験を、この場にシェアしてくださって感謝しています。

聞き苦しいなんて、決してそんなこと思いません。

大切に(慎重に)読ませて頂きました。
その時のつくしさんの様子が浮かんで来て
本当にドキドキしながら読み進みました。

言葉がありませんでした。
呆然というか愕然というか、
私の体験の中にない事実に
ただただ、苦しく固まってしまった自分がいました。

勉強になるなんていう表現を使うのは
とても失礼だと思いながら
自分にない体験を聴かせて頂けて
ありがとう・・・とお伝えしたくて
今打っています。

「悲しみを乗り越えなくていい」という言葉に
ホッとします。

長い間、フタをされた悲しさを、叫びたいほどの
悲しさ、悔しさを今、こうして言葉にしている
つくしさんを尊敬します。




















りんご 2007年11月09日 01時57分 [削除]

先生!りんごさん!そして長文を読んで下さった皆様!ありがとうございます!

私個人の経験を読んでくれている人が何処かにいるんだ!と想像するだけで一人じゃない!と心強く思えます。

なおかつ、先生、りんごさんに共感して頂けた喜びは今までなかなか体験した事のないような感覚のようです。

今まで周りの人達にこのような話をさせてもらえた経験もあるのですが、自分自身どこかで「あんたにいくら言ってもあたしのこの気持ちなんて解るはずないわっ!」ってひねくれた、いこじになった気持ちが本音だったのかも。

でも親身に聞いてくれる人を悪く思いたくないから「あの人には解らなくて当然なんだから!仕方ない事!」って自分に言い聞かせて納得させていました。

そんな話をしてもいつも「もう過去の事」「済んだ話」「終わった話」「解決出来た事」なんてふりで「あたしはもう大丈夫!もう復活したのよ!」と自分にも言い聞かせて気丈に振舞っていました。

本当はあの時と気持ちは何も変わってないのに・・・

りんごさんから「慎重に・・様子が浮かんできて・・ドキドキしながら・・・苦しく固まって・・」とのコメントでご自身の体験にはない事なのに「本当に共感してあげたい」と自分の事のように感情移入して思って下さる人がいるんだ!とちょっとびっくりしました。そして温かくなりました。

わたしが心を閉ざしていて知らなかっただけで本当にいるんですね!

今回自身の経験を文章にして打ち込む作業の中で当時の背景一つ一つがリアルによみがえり、なんとも言葉で表現しがたい当時の自分の感情に山ほどご対面しました。

辛くもありますがシェアして良かったです!

そして「家族を亡くした心の傷は乗り越えなくていい」
って?・・そっそんなはず・・・・?

だって「もうあれから12年も経ってるのよ!いい加減にしなさい!」「自分ももう母になってる身なんだから!」「いい歳こいて未だ母ーさーんなんてやめなさい!」ってずーっと自分自身言い続けてきたのに・・・

そっそうだったの?・・じゃあ今まであたし・・何やってたのよ?って自分に腹が立つ。でもそうするしか知らなかったんだよね?

こんなに今まで虚勢を張って無理してきた自分が馬鹿馬鹿しくなって・・・・・あーーー長い間ーーーなんだか疲れたーーーー



つくし 2007年11月09日 12時30分 [削除]

代表の阿部です。
たちの悪い今回の風邪・・・私はまだ長引いていて調子がイマイチです。

さて
りんごさん、つくしさんのやり取りを読ませて頂きました。

お互いに刺激になっているのが分かります。
この場を活かして頂けているようで
とても嬉しく思います。


家族を亡くした心の傷は乗り越えなくてもよい・・
私も目からウロコでしたから
聴いても戸惑ってしまいますよね?

私もつくしさん同様
自分を責めていました。

もう25年も経っているのに
いい加減にしなきゃ
子どもも居るのに
大人なのに
いい年こいてお母さ〜んだなんて
などなど

でもセラピー受ければ受けるほど
本当の感情を目の当たりにします。
そのたび
寂しくて悲しくて辛いという気持がわんさかあることに
気付かされました。

インナーチャイルドの概念でもありますが
人は傷ついた時
その時のまま成長が止まってしまっている部分を持っているのはよく起ることだと言われています。
ない事にして押し込めたり
我慢したり
ごまかしたり
打ち消したりすればするほど
反対に残ってしまう傾向があると言われています。

確かに・・・・納得です。

それと
話していてもこの人には理解できるはずがないと感じてしまっていたことについてですが
それも自然な感情だと思います。
本当にそうですもの。

だからこそ
同じ経験をしている人が相手だった場合
何も言葉がなくても
傍にいて話を聴いていてくれるだけで
分かってくれている安心が感じられるのではないでしょうか。
それが同じ経験を持つ人たちの集まりの強さでもあると
思います。

ただやはり人間性は大きく影響しますから
中には
悲しみを比較されて私の方が悲しいとか
あの人の方が悲しいとか言われて傷つくケースも起りますし
思いやりからの言葉なのでしょうけど
私の場合
空の星になって、あなたのことを見守っているからと簡単に言われるのも嫌でした。
会ったのかよ!見たのかよ!って感じます。
きやすめは簡単にして欲しくありませんでした。
私の悲しみをごまかされた感じがして嫌です。

私は今でもやはり家族を自死で亡くした経験のある人以外で
この人なら分かってくれると感じることが出来たのは
西尾先生や斉藤先生などの臨床経験や知識がエベレスト級の人たちだけです。
どこかで分かるはずがないと思っています。
意固地でもなんでもなく事実だと思います。
仕方ないですよね。やはり
経験にはかないません。
そう考えたら、心理の専門家にとって自身の経験は財産であり宝物であることが分かって頂けると思います。

経験していないことは
努力によって疑似体験は出来。
全てを分かることは出来なくとも共感することは可能だと思っています。

たくさんの本を読むことも
たくさんの人の話を聴くことも
たくさんの学習をすることも
たくさんの映画を見ることも
たくさん悩むことも
全て役に立つと思います。





abe 2007年11月12日 09時35分 [削除]

その日が近づくと、感情のコントロールが難しく、その前々日あたりから思いおこし、なぞるように、ふたつの時間を思い起こしていきます。ほとんど毎年。
姉が自殺の覚悟を決め、現場を下見し、遺書を用意し、周到に準備をしていた二日間。
ボーイフレンドと図書館デートで毎日出かけていた私の二日間。
そして、死亡推定時刻。
私はむしょうに喉が渇いて、県立図書館の自販機コーナーで、ジュースを飲み干したときに目に入った、掛け時計の時刻がまさに午後三時。

そんな悲しいことを再現する意味もわからないまま、またその日がやってきます。

33年前、大学3年の、夏期休暇で帰省中、明日、大学にもどるという8月31日。
姉は2学期が始まるという前日、自殺しました。教育現場の上司や同僚からの壮絶なパワハラ、モラハラを、私は聞いていました。すごいね、ひどいね、なんとかならないの、とか。でも、自殺するほど苦しんでいたなんて。

なぜ自殺のサインに気付かなかったのか、苦しみを聞いていたのは、妹のわたしだけだったのに、新聞には結婚について悩んでいたとなっていました。

自宅で葬儀の当日、同僚達が席順でもめたり、上司が姉の部屋の椅子を勝手に持ち出して、日陰ですずんでいたり。暑い日でした。汗と涙と、脚のしびれと、姉の茶碗を塀の角で割る音。なんでそんなことまでおぼえているのだろう、と思うほどに。

弔辞を読んだ男の子はもう40歳をすぎているはず。

火葬場での笑い声。苦しんで自殺した姉が荼毘にふされているとき、持病の話や、世間話で手をたたいて笑う教師達の声。

何度か他人に打ち明けたら、気持ち悪い家族がいたのね、とか、たとい自分でも人間を殺すことをしたわけだから、あなたは犯罪者の家族なのよ、とか。

わかってもらおうとするのはやめられたけれど、どんどん増える自殺者、同じ苦しみに足掻く遺族、関係者。何もかわらない。何故気付いてやれなかったかという自責の苦しみと、生きていて、もうダメだと行き詰まったとき、死ぬことを真っ先に考えてしまう、何もかわらない私でした。
死因についての問題提起も告発もしなかった、自分の弱さを責め続けるばかりでした。

そして、立ち直る日はくるのだろうかと思い続けて、
乗りこえなくてよい、の言葉に出会いました。

乗りこえることはないだろうと、ずっと思ってきましたが、ああ、やはり、そういう日はこないんだと、再認識しました。

ありのままで、という言葉の核心にふれるおもいでした。

孫のいるこの歳でも、その日は、そう思ってすごしましょう。
辛くても、もう少し、その日を追体験しましょう。

両親も、亡くなりましたし、彼女のことを愛をもって思いだしてあげられるのは、もう妹の私だけでしょうから。

痛みを痛みとして、これも私の人生の一面と、考えられそうです。

明日がその日。

これまでとかわっていなくてもいいんだと、あの日の私と、今の私にゆっくり言いきかせてみましょう。

dommage 2010年08月30日 15時40分 [削除]

はじめまして
新聞の記事で阿部さんを拝見してから
ずっとこのHPを覗きに来させて頂いているものです。
コメントする勇気が持てずにいたのですがdommageさんのコメントに誘発されましたので
緊張しながら初コメントとさせて頂きます。
私も20年前に家族を自殺で亡くしている身です。
今は眠れるようにはなっているけれど、
まだまだあの日の事を悔やむ気持ちと
昔の写真を見るたびに悲しさと悔しさとでぐちゃぐちゃになりそうになります。
20年経っているので周りの人たちには理解してもらえません。
まだ引きずっているの?とか、あなたが悲しんでいると○○も成仏できないとか言われます。
それからあまり人に話さなくなりました。
20年経っていてまだこんな気持ちで居る事はいけない事なのだと自分を責め
この気持ちを持つ自分を呪ってもいました。
阿部さんの記事を読んで「無理して乗り越えなくてもよいのだ」ということを知りました。
そして阿部さんの著書をアマゾンで購入させて頂き、怖々と読みました。
もう泣けて泣けて・・・・私の代弁がそこにありました。無理して乗り越える必要はない
乗り越えるのが強さというより
むしろその悲しみと共に生きるのが本当の強さ・・・
家族の自殺の問題は経験した人にしか分からないこの感情
悲しみを乗り越えるよりも悲しみと共に生きる。
そして癒しが必要なのですね。
私もいつか癒しのワークショップとやらに参加してみたいと思っています。
それまでこの場に時々来させて頂きます。
ではありがとうございました。

mei 2010年08月30日 21時14分 [削除]

meiさんのコメントで、もっと吐き出していこうと勇気が少しでてきました。もちろん、こういう場をお借りして。



遺体発見の警察からの電話。
21歳の私はひとりタクシーで駆けつけました。
検死の医師の傍らで、警察官が調書を書くおり、
「自殺ではなく、自死と書いて下さい」

涙を流すことなく、両親にかわり死亡診断書その他の事務手続きを淡々とこなしました。たったひとりで。

娘がちょうどその頃の私の年齢になった頃、病みました。驚くほど能力が高く、物事を思い詰めるタイプです。きまじめで、私以上に努力家です。
不吉な不安に現在も苦しむ日々です。ODを告白されたとき、DNAなのかといまもって悩んでいます。生育過程の連鎖は、DNAと同類かもしれません。

そして、当時の自分は、精一杯よくやったと、思う反面、娘なら、もっと的確にできると、私は確信しています。そういう幼くてしっかりした大人の年齢におきた悲劇でした。自死サインは後から、ああ、あれがそうだったのかというくらい鈍感な21歳の私でもありました。


近くで柔道部の合宿をしていた大学生の一団が
興味本位でどやどやと検死を見に近づいてきました。

「あなたのお姉さんがこういうことになって、沢山の人の目にさらされるとご想像下さい。それでもご覧になりたいですか」大男の一団に向かって、泣かずに問いかけていました。今までだしたこともないような低い声で。

すると、リーダー格のひとりが全員を制止し、合宿所に戻れと指示。
「恥じ入りました。何かお手伝いすることはありますか」
こんな場面、会話がそのまま思い出されてきます。

自分の化粧もしたことがなかったのに、姉の死に化粧をし、一晩ともにすごしました。

苦痛にゆがんだ口元、遺体のなまなましい傷。
33年前の出来事が昨日のことのように忘れられないのです。

もう実家は人手に渡り、今は別のビルが建ちました。
すっかりかわってしまった33年の歳月。
しわも白髪もふえてしまいました。
亡くなった姉の年齢をとうに超しているのに
やはり、いつも姉は姉なのです。

この痛みを消すことは姉を忘れ去ろうとしているのかと
答えの見つからない問いを続けていたように思います。

乗りこえなくてもいいということは、忘れられないままで苦しい思いのままでいいということ?

苦しいです。辛いです。泣けてきます。
むごい話です。

 C’est la vie.





dommage 2010年08月30日 23時10分 [削除]

また私もコメントさせて頂きます。
私のコメントが誤解を生んでしまった様な気がしました。
私もまだとても辛い一人です。
乗り越えなくてはいけないと言われ続けていたのに
どうやっても辛さが変わらない自分に乗り越えられないことを恥じていました。
ですので乗り越えなくてもよい。悲しいままでもいいと言ってもらって私は楽になったのです。
悲しいままでいろという意味ではありません。
悲しいままで居てもいいよと許してもらったと私は感じたのです。
ここが自殺問題のことにコメントする難しさだと思います。簡単にこうやって誤解を生んでしまう。やっぱりコメントしない方が良かったと感じています。阿部さんの本を読んだら「悲しみ」の向こう側にあるものが見えた気がしました。癒しが必要だということも。
阿部さん、私は悲しいままでいる自分が許されたと感じました。この理解でいいですか?

mei 2010年08月30日 23時27分 [削除]

mei様
誤解を生んではいませんから、あなたのご発言はそれでよかったのです。あなたは許された、楽になれた、そうなの、ああよかったなあと、心から思っています。私の繰り言に、反応があったことにむしろうれしさすら感じました。久々に、他者に思いを述べられた解放感です。
孤立、孤独感に支配されていましたから。カウンセリングも受け続けていますが、まだまだ霧の中です。

不快な思いを読み取られたのなら、申し訳無かったと思います。問題は私自身の受け止め方。
怒りの処理が、できないと考える私を許せないまま今日にいたってしまったのです。哀しみと、痛みと、怒りと。

京都竜安寺の石庭の裏に石のつくばいがあります。
あの有名なことば、吾唯足るを知る、です。

頭では、わかっているのです。これが私の人生。痛みも、辛さもあって、でも、人によってはもつことのできない、健康な体、生きる力、考える力等々あふれるほどあって、だから、足りないものを数え上げて辛いばかり思うより、今ある豊かなあれこれを、十分だと喜び満足すること。

頭で理解しても、心がそうはいかないのです。哀しみに蓋をしてしまう、私を私がゆるさないのです。つまり、敵の正体は私なのです。

生きる意味、存在の意義ばかり考えて生きてきました。
私、生きていていいのだろうか?人間の歴史の中で、沢山の人が向き合ってきたようですが、明快な答えを見いだせずにいます。

私を許さない「私」に、私が「赦し」を宣言することが
必要?

辛いから死ぬ、辛いけど生きる。

私は後者で、あれから33年もよくやってきたものだと見方をかえることかしら?

mei様、阿部さん、もし、可能ならばお聞かせ下さい。
「許された」と感じた、その許しを与える存在が誰なのか、とてもしりたいところです。

dommage 2010年08月31日 09時55分 [削除]

dommageさん、meiさんへ


コメント大切に読ませて頂きました。
代表の阿部です

お互いのやり取りが刺激となって
シェアが進んでいますね。

誤解を生んでしまったような気がしているmeiさん

ご自身の気持ちであるとしっかり認識されていらっしゃるdommageさん


それぞれの思いはとても大切なものですよね。

そしてこうしてこの場に
ご自身の経験された身内の自殺の問題を
真正面からシェアして下さっていることに尊敬の念を感じます。

世間ではまだまだ語られにくい分野のことですからね


dommageさんのご経験のシェア
大切に読ませて頂きました。
何年経っても思い出すと辛さが感じられるのも当然の当時のシチュエーションですね。

私も著書に書かせて頂いていますが
遺体を見た衝撃と
シチュエーションは今でも鮮明に覚えています。

meiさん

著書を読んで下さっているのですね
ありがとうございます。
道新の全道版に掲載された私の記事をきっかけにして頂けたとの事とても嬉しいです。
勇気を持って実名と顔写真を載せて良かったと思っています。
この場にコメントを付けて下さったのも勇気が要ったことでしょう。。。


悲しみの向こう側にある何かが見えて頂けたとのこと

そして癒しが必要であることも
メッセージとして詰めた著書なので
それが届いて何よりも嬉しい気持ちです。

私自身の母の自殺のトラウマは
個人カウンセリングのみではなく
グループで行う癒しのワークショップ参加が
何よりも大きな意味をもたらしたと思っています。

とてもパワフルでヘロヘロになりましたし
当時は12万円とかしました。

でもケアし続けている今も思う事は
このワークショップへの参加が何よりも
私のトラウマからの後遺症を楽にしていると感じています。

自分を責める気持ちや
悲しみは0にはならないけれど
私は「かなり」楽になりました。

ワークショップへの参加や個人カウンセリングをする前には100%の苦しみだったのが
今は10%にも満たないかもしれないなと感じています。

私にとっては驚異のことです。


さて


FCCNで自死遺族としての心のケアで
カウンセリングやワークショップそして自助などに参加されていらっしゃる仲間たちが存在します。

このテーマ
許されるとか
自責の念とか
変わらない辛さ
そして自分はよくやってきたと思えるようになることなど

これらについて
経験からこの場でシェアして頂ける方はいらっしゃいますか?

もちろん私自身当事者ですので
コメントは出来ますが
せっかくなのでFCCNでケアを受けている人の中で
自死の問題の近くにいらっしゃる方からコメントがあったら
互いに刺激になるのではないかと感じました。

しばしお待ちしていますね。
もちろん強制でもありませんし
ハンドルネームで十分です。

abe 2010年08月31日 23時19分 [削除]

abe様

コメントありがとうございます。

逆療法を思いついて、(NHK教育TVなどから参考に)
命日当日に、自殺遺児の本などを図書館でどさっと借りてきて、泣きながら斜め読みしました。

辛いときは悲しい映画などで思いっきり泣くのもカタルシスになるとか、聞きかじりの情報を総動員。なんでもいいからこの辛い時間をやりすごしたかった。

くたくたになるほど動いても、音楽や映画もだめだった経験から、今年は逃げないで、かわさないでいようと。


で、5冊目あたりから、不思議なことに、許された感とは少し違いますが、すっきりした気持ちになれました。思いっきり涙を流したことも良かったようです。

私だけではないことは、この国の自殺報道ではわかっていました。でも、子ども時代に親を自殺で亡くす痛みは想像を絶するものがあります。それでも辛さと向き合う勇気が与えられ、同じ体験をした仲間のいる場で解放され、心を開いているのは、ほんとうに慰められました。

わかってもらえた感。鍵のようですね。

私もグループカウンセリングを続けていますが、同じ体験の方に出会っていなかったので、なかなか語れなかったのでした。

もつれていた糸がすうっとほどけた気がしています。

dommage 2010年09月01日 00時51分 [削除]

dommageさんへ


おはようございます
命日反応のことご存じなのですね。

今年はその気持ちから逃げずにたっぷり向き合われたとのこと
これだけの年数が経ちながら
その思いに向き合う勇気
相当のものと感じます。

たくさんの関連の本という案
いいですね〜。
この場はもの凄い数のアクセス数が毎日あるので
きっと同じ経験のどなたかにdommageさんの勇気と取り組みが情報として行き渡りますね
すごく嬉しいことです。

一人でも多くの仲間たちが
す〜っともつれた音がほどけて欲しいです。

私も偶然ですが8月が命日でした。
22日
ケアをしたので大きくて得体の知れない命日反応は起きませんが
それでも私にとって28年前を鮮明に振り返る日でもあります。

グループでもカウンセリングをされてらっしゃるのですね。
同じ経験の方がいらっしゃらなくて話せなかったのは当然と思います。

FCCNのHPは多い時1日に1800件のアクセスがあるのですが
平均的に1日700件位あります。
特に自殺遺族関係の記事やコメントにつくアクセス数の数はものすごく高いんです。
桁違いに。

付くコメントは他のトピックと比べると少ないというのも
自殺関係の特徴かなと感じています。


dommageさんはお姉さまを亡くされたとのこと
私にも姉がおりまして母が亡くなった後に姉が自殺を図った事があります。
見つけたのは私です。
もう私の感情はすでに学童期から結構麻痺していたようで
母の自殺でも泣けず、姉の未遂を見つけても泣けずに居たことが
懐かしい感じさえします。

今はカウンセリングやワークショップでナイアガラの滝のごとく何度も泣いていますし
たくさんの仲間を見つけシェアしあい
癒しの作業をし続けて13年経ちましたので
泣かなかった、泣けなかった自分
自殺後ケアしないまま生き続けてきた15年間の自分がとてもけなげで愛おしいです。

私ももつれていた糸がすぅっとほどけた気がしました。

では地方勤務なので今回はこの辺で

他の方のシェアもお待ちしています。

abe 2010年09月01日 07時43分 [削除]

dommageさん、meiさん、ゆかり先生のコメント読ませていただきました。

私も自死遺族です。
今は時間がないので、後程また書き込みに来ます!
ぜひシェアさせていただきたいと思います。

R 2010年09月01日 10時02分 [削除]

皆様こんにちは
私も自死遺族の一人です。
長い間私も誰にも話すことが出来ずにいました。
友人と食事の時に何気に言った時に場の雰囲気が急に悪くなってしまって気まずくなったりしたので
それからやっぱり言わない方がいいと思っていました。
命日反応もありました。
その時は分からなかったけどね。
ずっと自分を責めてきたし
私も後追いを何度も考えました。
天国に行ったら何故死んだのかその理由が聴けるかなと本気で思いました。
どうしても助けられなかったという思いに囚われていてずっと苦しかった。
でも勇気を持ってFCCNに繋がってから
自殺の事一杯話せました。
阿部先生の本を読んだ時、ものすごく反応した自分が居ますが
でも読み終わった時に何だか晴れやかな気持ちになったのを覚えています。
私にも未来があっていいんだと思えました。
同じ苦しみを持つ人だったらからこそ話せたと思います。
私にとって阿部先生は自死遺族の先輩です。
それだけで心強いです。
カウンセリングで散々泣いて笑って
今は自分を責める気持ちがずいぶん楽になっているのを認識できます。
自分の未来があることに罪悪感で一杯だったけど
今は自分の未来を大切にしても良いのだと思えるようになりました。
この変化はとても大きいと思います。
許されるという感覚
私の場合は自分自身で自分が許せなかったのです。
でも今はたくさん語って
たくさん泣いて
怒って
叫んで
だんだん自分を許せるようになりました。
また書きます。

sumiko 2010年09月01日 20時57分 [削除]

やっと書き込みに来れました!

当時の様子を詳細に書き記すことで、気分が悪くなられる方もいるのでは・・・と思いますが、勇気を持って書かせていただこうと思います。


私は、11年前に父親を首吊り自殺という形で亡くしました。当時私は26歳でした。
父が亡くなった時は、実家の近くのアパートに住んでいました。

私が子供の頃から、父は躁うつ病を患っていたようです。
父の症状が出ている時に、母が知人から躁うつ病のことを聞き、ほぼ間違いなくその病気であろうということはわかっていました。

ですが、症状が出ていない期間は、まったく普通の状態に戻ってしまうため、なかなか医療に繋がるという方向に行きませんでした。

父が亡くなる半年ほど前からまた躁状態が出ていて、その時は兄弟はもう独立して実家から出ていて、私と母はその状態の父が手に負えず、実家を出ました。

先に私が近くにアパートを借り、家を出て、次に母が遠くに住む兄弟のところへ行きました。
そしてその後2ヶ月ほど経ってから、父が亡くなりました。

その時、祖母や叔母が近くにいましたが、病院に運ばれた父の遺体を、
私は一人で引き取りに行きました。
病院まで車で30分の道程を自分で運転して向かいました。

病院では、警察の方が待っていて、遺体の身元確認をしました。
父の遺体はビニールシートの上に寝かされ、遺体の上にシートが掛けられていて、足だけが見えていました。その足を見てすぐに父だとわかりました。

シートをめくり、顔を確認して「間違いありません」と警察の方に伝えました。
父の遺体は、まだ首にロープが巻きついたままの状態で、髪は逆立ち、目は見開き、舌が出たまま死後硬直で固まっていました。
私は、泣くこともなく冷静に、ただ「蝋人形みたいだ」とか「兄弟に似ているな〜」とか、そんなことを考えていました。

11年経った今でも、その光景は目に焼きついています。父のことを思うと、私も今でもやっぱり悲しくて涙は出てきますし、自責や後悔が0になったわけではありません。

でも、FCCNに繋がって、安心して話せる場所と仲間にめぐり会えて、カウンセリングやグループワークで扱っていくうちに、自分を責める気持ちや、トラウマから来る反応がずいぶん楽になりました。

自分で思っている以上に、日常の細部にまでトラウマ反応が表れていましたが、カウンセリングでその事に気づき、セラピーで扱っていくうちに、以前と比べてその反応が減り、本当に生きることが楽になってきました。


私も、一人でも多くの仲間に、もつれた糸がす〜っとほどける日が来ることを願っています。

R 2010年09月02日 02時54分 [削除]

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