2007年06月02日(土)
遺族の自殺におけるトラウマ [自死遺族]
清里町の神の子池 神秘的な場所です。記事とは全く関係ありません。
私の大好きな場所のひとつなのです。
代表の阿部です。
北海道の東 中標津町は桜が散り、他の草花や木々が
一斉に芽吹き始めています。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さてお待たしていた新しい記事 今回は
遺族の自殺によって遺された者に
心的外傷後ストレス障害(PTSD)を
発症する事と
トラウマについて取り扱いたいと思います。
先日も国民に影響の多い政治家の方の立て続けの自殺も
ありましたね。
我が国日本が自殺大国であるのは
皆さまもご存知でらっしゃることと思います。
世界では第10位になっています。
1998年以来 毎年自殺で亡くなる方は3万人以上であるのが
今の日本の現状です。
ここで警視庁から発表されている1998年〜2005年までの
自殺既遂者のデータを見てみましょう。
1998年 32,863人
1999年 33,048人
2000年 31,957人
2001年 31,042人
2002年 32,143人
2003年 34,427人
2004年 32,325人
2005年 32,552人
合計 260,357人
(警視庁生活安全局地域課 発表資料より)
以前道東のデータで紹介させて頂きましたが
今回は日本全体で見ていきましょう。
1件の自殺が起こると最低6人 心理的ケアの必要な
人間がいると高橋祥友先生は言われています。
これから試算すると
260,357×6人=1,562,142人
約156万人という数字が出されます。
この数字は
「自殺によって遺され ケアの必要と考えられる人の数」です・・・。
とてつもない数字ですよね。
親族の中に自殺が起こると
遺された者に精神的な影響があると考えるのは
自然なことだと思います。
親族に限らずとも、近しい人が自殺で亡くなれば
精神的にダメージを受けることも当然起こります。
さて今回はこのダメージや精神的な影響の中でも
心的外傷後ストレス障害(PTSD)や
トラウマについて考えていきます。
その他の精神的な影響は以前の記事を
見て頂ければよろしいかと思います。
人を亡くすということはそれが自然な死であっても
とても大きな出来事であります。
喪失体験 対象喪失です。
それが自殺となれば
自ら死を選択したのですから
遺された者にとってその死を受け入れることは
非常に困難をきたします。
同時にその死は偏見や誤解なども蔓延していますので
尚、語られにくいという側面を持っています。
そういった意味で遺された者が孤立化する傾向を
併せ持っているのも自殺の特徴でもあります。
その孤立の中にあの時自分が何か出来たのではないか
または何かしたからこうなったのではないか等の
自責の念は非常に深く、重く遺族の心を覆います。
同時にPTSDやトラウマとなっていくことの
具体的なことの一つに
「遺体」があります。
自殺で亡くなった者の遺体には
大きなメッセージ性が伴っているとも考えられます。
どういうことかと言いますと・・・
自殺の遺体は「手段の跡を伴っています」
自殺手段のデータを見ると
1位 首吊り
2位 飛び降り
3位 ガス
となっています。
首吊りの場合は、生々しい紐の後が
くっきり首に残ることがほとんどです。
血の塊、うっ血状態がそのまま紐の跡となって残ります。
また 少し開いたままの口や目という現状もあります。
涙や様々な分泌物の後も残っていることも多いのです。
死後硬直をした後に発見された場合は
遺体として布団に寝かされていても遺体の形は
ぶら下がっている状態のままであることも
珍しくありません。
ただでなくとも自殺は強烈に悲しい出来事
ショッキングな出来事であるというのに
最後の目にする必要のある遺体が
そのような状況です。
脳裏に焼きつかない方が不思議です。
では飛び降り
高い所から飛び降り死に至ったわけです。
遺体の損傷もあるのが当然です。
たとえ何かの拍子で顔が無傷の場合であっても
飛び降りて亡くなったというメッセージは
強く遺族の心を占拠するはずです。
ガス関連の自殺は
皮膚の色の変化がある場合も多いです。
亡くなっただけで顔色に変化がある上
毒物などの影響ですから・・・。
これらを考えてみても
自殺の遺体を見ることの精神的苦痛は
想像するのにそれほど難しいことではないと思います。
またこれに輪をかけてPTSDや大きなトラウマとなるのは
「遺体の発見者」です。
偶然に発見した立場の方も
そのインパクトは非常に大きく
トラウマ的出来事の一つとなります。
その上発見者が親族であるケースも非常に多く
この場合 更に深刻な精神的影響を受けることになります。
眠れない
漠然と不安である
怯える
ドキドキする
緊張する
発見場所に似た状況が怖い
悪夢をみる
など様々なことで表出されることが多いのです。
遺体が目に焼きついていること
遺体を発見してしまったこと
警察や病院で遺体確認を行ったこと
自殺において上記の経験は
心的外傷後ストレス障害(PTSD)
トラウマ
となることは
極めて自然なことと言えると思います。
本人が弱いのでもありません。
正常な精神を持っているからこそ
このようなストレス下で
ダメージを受けるのが自然なことなのです。
自殺で近しい人を亡くした経験の有る方で
PTSDを発症している方
トラウマとなっている方(ほとんどだと思いますが)
医学的な治療(薬物療法)
精神的治療(心理療法など)
仲間との出会い(孤独感からの解放)
これらで「回復」は可能です、
亡くなった方は戻ってきませんので
そこの部分は辛いですが
PTSDやトラウマを放置しておくと
もっと深刻な症状となって現れたり
次の自殺を引き起こすことにもなるのです。
FCCNのこの場で自殺遺族関連の記事への
アクセス数の多さは異常なほどの多さですが
全国の自殺既遂者の数のデータを見ると
納得できる数です。
もしこの記事を読まれた方の中で
親族に自殺された経験をお持ちの方がいらっしゃたら
御自分の精神状況を
今一度見つめなおして見る機会となって頂ければ
幸いです。
そして私の回復があったように
逃げずにその問題に向き合った時に
感情の浄化と
喪失の嘆きの作業が進み
少しづつ生きていく気持や
ものごとを客観的に見る力も
出てくる可能性は高いです。
FCCNでは身近な人に自殺によって亡くなられ
遺された人のための自助グループを月に1回開催しております。
また個別にカウンセリングなども行っており
自殺遺族の専門的なケアを提供させて頂いております。
もし、向き合う勇気と
精神的な影響から今の生活に何かしらの影響が
あることを感じられた場合
ご連絡をお待ちしております。
FCCN家族と子どもケアネットワーク
クリニカルセンター
本部電話 0153−72−0006
(8:00〜20:00まで受付)
自殺問題担当 阿部 ゆかり
Posted by abe at 13時57分 Comment ( 10 )
コメント
先週 大切な人の母親がなくなりました。
一ヶ月程まえから精神的にパニックに陥り
病院通いをしていました。
あわててかけつけたのですが 私は拒否されました。
近しい友人と親戚だけで過ごすとのことでした。
電話では 何が起こったのかは口にするこはなく
ただ自分や父親のせいではなくすべて病気が悪いから
気丈に振る舞うこともせず
毎日泣いてる 落ち着いたら全て話すからと言っていました。
今は待つことしかできません。
私は何をしてあげたらいいのでしょう。
離れたところに住んでいるので ただそばにいてあげること
さえできないのが辛いところです。
SUSHさんへ
コメント大切に読ませて頂きました。
大切な方のお母様が亡くなられたのですね。
大切な方の状況を考え
あわてて駆けつけたところ、拒否されてしまったのなら
どうしていいか分からなくなってしまいますね。
離れた所に住んでいて
傍にいてあげることさえ出来ないというのは
とても辛いですね。
今は待つことしか出来ないとお考えのこと
懸命で安全な選択だと感じます。
落ちついたら全て話すからと言って下さっているのでしたら
そこに信頼関係が構築されている証拠ですね。
このような死別は
時間を要することも多々あります。
パニックになったり
病院に行くという選択が出来たり
泣いてばかりいられるというのも
実は
非常に「健康的な喪失反応」です。
世の中では
気丈でいることの方が望まれることですけど。
御自分に何が出きるのでしょうかというご質問ですが
SUSHさんのされている「今は待つ」という選択が
一番最善の選択だと思います。
そして時が来て
話す機会が訪れた際には
傾聴に徹してあげることが傷ついている者にとって
何よりの力になることだと思います。
そして必要を感じられるなら
これらの死別を専門的に扱ってくれる機関や人材を
調べて
教えてあげること
専門家にかかることは必要で恥ずかしいことではないことも
伝えていくことも役に立つことの一つだと思います。
おへんじありがとうございます。
そうですね。
気丈に振る舞わなくていいと周りの人から言われ
泣きまくってるとも言っていたので
そのへんは安心しています。
私はただ待つというのが よく飲み込めなくて
どうしたらいいのかわからなくて
思わず 毎日メールを送ってしまってました。
今ただの自分の自己満足のように思えてきて
後悔しています。
SUSHさんへ
返信遅くなりました。
代表の阿部です。
風邪で青っぱな垂らして仕事してます(^^;)
さて
友人に対しどうしてよいのか分からず
メールを毎日送ってしまったことが
自己満足のような気がしてきていらっしゃるのですね。
待つというのは
ともすれば、放っておくような感じにも取れるので
なかなか難しい姿勢だと思います。
どうしてよいのか分からないというのは
このような事が起こった周りの者として
当然の反応だと思います。
自己満足なのかどうかは
私には判断することは出きないのが
正直な所ですが
私が母を自殺で亡くした時に
当時はメールなんてなかったですけど
すっとんで来てくれた方が数名いらっしゃったのですが
25年経った今でも、ずっと心の中に嬉しさや温かさとして
残っています。
感情鈍麻していて決して良い応対は出来ていなかったと思いますが
「私の事を気にかけてくれている」というのが分かった様な気がして
絶望的な孤独感が緩和されていたように思います。
母が亡くなったその時にメールがある時代だったとしたら
私なら毎日メールもらえるのは
とても必要な事かもしれないな・・とふと今回思いました。
では。また。ズルッ←鼻水(^^;)
おはようございます。
SUSHさんと先生とのやり取りを読ませていただいて
私も過去の嬉しかったことを思い出しました。
私は離婚後の時ですが、
やはり当時はメールは無かったです。離れて住む友人が
ホントに短い手紙をくれました。
離婚のことには触れずに、「ちゃんとご飯食べてる?」と。
短い文面から私のことを気に掛けていてくれることが伝
わって、今でも感謝の気持ちが湧いてきます。
自分のことを気に掛けてくれている人がいるって分かることは、
苦しい時、または後で力になると私は実感で感じています。
私は「自死遺族」です。
今、この場で「こう言いたい」と思えた自分の成長を認め、この安全な場所に感謝したい気持ちです。
自分自身の経験のシェアでお聞き苦しい方もいるか?と思いますがここで自分の気持ちを吐き出す事がトラウマに対する自己治療につながる気がするので書かせて下さい!ご勘弁を!!
今から12年程前の話です。母は私がお腹に居る時かららしい「うつ病」との長い闘病生活の末、自ら首吊りという形でこの世を去りました。
当時私は「摂食障害」の真っ最中で栄養不足、疲労から「急性肝炎」との診断で内科に入院中の時でした。
その間母は自身の療養の為にと母の実家である地方に滞在していました。
私は入院中、私の居ない家で母が父と二人で生活している事を想像するよりよほど安心していましたが・・
母とは入院中もよくTELをしました。
今思うとお互いが自分の事より相手の事ばかり気遣って無理に元気に振舞っていた気がします。
そして9月4日(皮肉にも死ぬまで苦しむ?苦しんで死ぬ?)です
私の入院先のナースセンターに父からのTELがきました。父から連絡があるなんて・・??胸騒ぎがしました。
第一声「母さんが馬鹿まねをした」でした。
父がどういう人で、どんな言い方をする人かわかっていたので、すぐにこの言葉だけで状況は判断できました。
そう!父にとっては母の自殺は「馬鹿まね」なんです。
未だにその言葉、声のトーン、言い方は忘れられません。
一瞬にして血の気が引いたようにその場にヘタリ込みその後強制退院をし5時間かけて地方の病院に向かいました。その間の記憶はあまりありませんが。
病院に到着後、第一発見者である祖父から状況を聞きICUに行きました。
母は色々な機械、点滴につながれて血圧のデジタル表示も38/15とかそんな数値でした。
手を握っても片方は暖かく、もう片方は冷たく。
それでも私にはただ今はベットに寝ているだけとしか見えませんでした。
医師から脳のレントゲン写真を見せられもう限界なこと、そして間も無く 「ご臨終」
ドラマで見るような家族が泣き崩れるような状況ではありません。ただ???
「枕経」をしても「葬儀」をしても「お骨」になっても「お墓」に入れても「四十九日、三回忌、十三回忌・・」が過ぎてもただ???
未だかつて「本当にもう二度と会えない」とは受け入れてないのかも知れません。
亡くなった大好きだた母の事を悪くは言いたくない!だから自分の本当の気持ちはもみ消してきた。
でもずーっと本当は「もう死なないって約束したのに!明日帰るって言ったのに!裏切った!私を捨てた!ずるい!寂しい!」って思い続けていたのかも知れません。
幸い私は現場を見ずに済みました。それでも未だ細い紐、高い位置の引っ掛ける金具が嫌いです。
代表の阿部です。
コメントありがとうございます。
りんごさん
ご自身の経験をシェアして下さってありがとうございます。
離婚の際のご友人の短い文章が
今だに心を暖めてくれているのですね。
りんごさんのおっしゃるように
後で力になるということは起りますね。
つくしさん
コメント
大切に読ませて頂きました。
ご自分が自死遺族であることをシェアできたのですね。
成長を感じるとのこと、本当にそう思います。
自死遺族の問題は私の大学院の修士論文のテーマでもありますが
この問題の多くは誤解や偏見から
無い事にされたり
語られ難いという特徴を持っています。
こうした状況の中で
遺族自身が自分の体験をシェアできるということは
とても大きな意味を持つと言われています。
お父様の台詞が頭から離れませんね。
亡くなった方の事を悪く言いたくないという気持は
多くの遺族の方の共通する思いでもあります。
そのように感じてしまうのは当然のことです。
同時に本当の自分の気持をもみ消してきていたことに
気付けたことは素晴らしい成長ですね。
そして本当は寂しかったこと
約束をやぶられて怒っていること
帰ると言っておいて裏切られて悲しかったこと
捨てられた気分であったことなど
本当の自分の気持が「今」意識出来たのですね。
心はとっても痛いですね。
本当の気持を認識するというのは
時に残酷です。
何が起きても「?????」でいられることが
どれだけ楽で生き易いか知れません。
「?????」で居られなくなるのは
本当に痛いと思います。
私は癒し続けている今でも、やはり母の自殺という死を
思う時、心が痛いです。
アメリカのオレゴン州のポートランドに
ダギーセンターという所があるのですが
昨年そこで研修を受けてきました、
そこの施設は家族を喪失した子どもの心のケアをする所なのですが
親を自殺で亡くした子どもの心のケアの学びをしてきたのですが
そこで私が学んだ事は
「家族を亡くした心の傷は乗り越えなくてよい」ということでした、私にとって目からウロコでした。
いつまでも傷を抱えているようで自分が嫌でしたから。
でも講師の先生は言っていました。
一生悲しいのは自然なことだと。
だから今回つくしさんのコメントを読ませて頂いて
涙が出る自分を自然だと受け止めることができます。
紐と高い位置のひっかけ金具、嫌いですね。
私はシャッターが下りてる物置が嫌いです。
つくしさん、こんばんは、りんごです。
つくしさんの辛い体験を、この場にシェアしてくださって感謝しています。
聞き苦しいなんて、決してそんなこと思いません。
大切に(慎重に)読ませて頂きました。
その時のつくしさんの様子が浮かんで来て
本当にドキドキしながら読み進みました。
言葉がありませんでした。
呆然というか愕然というか、
私の体験の中にない事実に
ただただ、苦しく固まってしまった自分がいました。
勉強になるなんていう表現を使うのは
とても失礼だと思いながら
自分にない体験を聴かせて頂けて
ありがとう・・・とお伝えしたくて
今打っています。
「悲しみを乗り越えなくていい」という言葉に
ホッとします。
長い間、フタをされた悲しさを、叫びたいほどの
悲しさ、悔しさを今、こうして言葉にしている
つくしさんを尊敬します。
先生!りんごさん!そして長文を読んで下さった皆様!ありがとうございます!
私個人の経験を読んでくれている人が何処かにいるんだ!と想像するだけで一人じゃない!と心強く思えます。
なおかつ、先生、りんごさんに共感して頂けた喜びは今までなかなか体験した事のないような感覚のようです。
今まで周りの人達にこのような話をさせてもらえた経験もあるのですが、自分自身どこかで「あんたにいくら言ってもあたしのこの気持ちなんて解るはずないわっ!」ってひねくれた、いこじになった気持ちが本音だったのかも。
でも親身に聞いてくれる人を悪く思いたくないから「あの人には解らなくて当然なんだから!仕方ない事!」って自分に言い聞かせて納得させていました。
そんな話をしてもいつも「もう過去の事」「済んだ話」「終わった話」「解決出来た事」なんてふりで「あたしはもう大丈夫!もう復活したのよ!」と自分にも言い聞かせて気丈に振舞っていました。
本当はあの時と気持ちは何も変わってないのに・・・
りんごさんから「慎重に・・様子が浮かんできて・・ドキドキしながら・・・苦しく固まって・・」とのコメントでご自身の体験にはない事なのに「本当に共感してあげたい」と自分の事のように感情移入して思って下さる人がいるんだ!とちょっとびっくりしました。そして温かくなりました。
わたしが心を閉ざしていて知らなかっただけで本当にいるんですね!
今回自身の経験を文章にして打ち込む作業の中で当時の背景一つ一つがリアルによみがえり、なんとも言葉で表現しがたい当時の自分の感情に山ほどご対面しました。
辛くもありますがシェアして良かったです!
そして「家族を亡くした心の傷は乗り越えなくていい」
って?・・そっそんなはず・・・・?
だって「もうあれから12年も経ってるのよ!いい加減にしなさい!」「自分ももう母になってる身なんだから!」「いい歳こいて未だ母ーさーんなんてやめなさい!」ってずーっと自分自身言い続けてきたのに・・・
そっそうだったの?・・じゃあ今まであたし・・何やってたのよ?って自分に腹が立つ。でもそうするしか知らなかったんだよね?
こんなに今まで虚勢を張って無理してきた自分が馬鹿馬鹿しくなって・・・・・あーーー長い間ーーーなんだか疲れたーーーー
代表の阿部です。
たちの悪い今回の風邪・・・私はまだ長引いていて調子がイマイチです。
さて
りんごさん、つくしさんのやり取りを読ませて頂きました。
お互いに刺激になっているのが分かります。
この場を活かして頂けているようで
とても嬉しく思います。
家族を亡くした心の傷は乗り越えなくてもよい・・
私も目からウロコでしたから
聴いても戸惑ってしまいますよね?
私もつくしさん同様
自分を責めていました。
もう25年も経っているのに
いい加減にしなきゃ
子どもも居るのに
大人なのに
いい年こいてお母さ〜んだなんて
などなど
でもセラピー受ければ受けるほど
本当の感情を目の当たりにします。
そのたび
寂しくて悲しくて辛いという気持がわんさかあることに
気付かされました。
インナーチャイルドの概念でもありますが
人は傷ついた時
その時のまま成長が止まってしまっている部分を持っているのはよく起ることだと言われています。
ない事にして押し込めたり
我慢したり
ごまかしたり
打ち消したりすればするほど
反対に残ってしまう傾向があると言われています。
確かに・・・・納得です。
それと
話していてもこの人には理解できるはずがないと感じてしまっていたことについてですが
それも自然な感情だと思います。
本当にそうですもの。
だからこそ
同じ経験をしている人が相手だった場合
何も言葉がなくても
傍にいて話を聴いていてくれるだけで
分かってくれている安心が感じられるのではないでしょうか。
それが同じ経験を持つ人たちの集まりの強さでもあると
思います。
ただやはり人間性は大きく影響しますから
中には
悲しみを比較されて私の方が悲しいとか
あの人の方が悲しいとか言われて傷つくケースも起りますし
思いやりからの言葉なのでしょうけど
私の場合
空の星になって、あなたのことを見守っているからと簡単に言われるのも嫌でした。
会ったのかよ!見たのかよ!って感じます。
きやすめは簡単にして欲しくありませんでした。
私の悲しみをごまかされた感じがして嫌です。
私は今でもやはり家族を自死で亡くした経験のある人以外で
この人なら分かってくれると感じることが出来たのは
西尾先生や斉藤先生などの臨床経験や知識がエベレスト級の人たちだけです。
どこかで分かるはずがないと思っています。
意固地でもなんでもなく事実だと思います。
仕方ないですよね。やはり
経験にはかないません。
そう考えたら、心理の専門家にとって自身の経験は財産であり宝物であることが分かって頂けると思います。
経験していないことは
努力によって疑似体験は出来。
全てを分かることは出来なくとも共感することは可能だと思っています。
たくさんの本を読むことも
たくさんの人の話を聴くことも
たくさんの学習をすることも
たくさんの映画を見ることも
たくさん悩むことも
全て役に立つと思います。



